岸和田福音キリスト教会

教会内

「御子の命までを与えて愛する神」   横谷俊一

聖書の中に「神は実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」という有名な言葉があります。

神様は私たち全ての人を愛しておられ、ご自分の独り子の命を私たちに与えるほどまで愛して下さっているというのです。
そして私たち全ての人間が誰ひとり滅びることを望まれず、ご自身が与える永遠の命に生きるようにする、それほどまでの限りない神の愛なのだというのです。

皆さんは神のことを知りたいと思われたことがあると思います。また神というものが実際にいるんだろうかと考えたりしたこともあると思います。
しかしどうだったでしょう。神様のことが分かったでしょうか、見出されたでしょうか。
殆どの人は、そういう思いを抱えながら、結局のところ神なんか、探しても見つからず、分からず、もう考えるのをやめよう、そしてそもそも神なんかいないんだ、人間は神なんかとは関係ないんだ、いま地上で生きている自分たち人間だけで十分で、それで全てなんだ、となってしまっているのではないでしょうか。

私は、それが多くの人の現実だと思います。私たち人間は、人間側からだけでは神様を見出すことはできないと思うからです。
人間は、神様側から私たちに働きかけられないかぎり、どこまでも神のことなんか分からないと思います。いくら人間側から一生懸命考え、知恵をふり絞って見出そうと思っても、徒労と的外れになると思います。

人間が神を見出したと思っている、その神なるものは結局、自分たち人間の願望、欲望満足のための神まがいのものでしかないのです。この人間の願望でしかない神まがいのものが世に溢れています。

神様とは、神なる方自身から自らを現わして下さり、示していただく、これ以外に私たち人間には見出すことかできないのです。
皆さん、聖書では、神様はご自身を私たち人間にあらわにお示しになるために、ご自分の御子であるイエスを人として、この世にお遣わしになられたと教えています。
地上に遣わしたご自分の子イエスだけが神ご自身を私たちに示すのだと教えるのです。
「いまだ神を見た者はいない。父のふところにおられる独り子の神が、神を説き明かされたのである」と聖書にある通りです。
皆さん、神様のことをぜひ知りたい、神様のこともっと分かりたいと真剣に願われるのなら、どうか2000年前にこの地上のイスラエㇽに人として来られたイエスを求めて下さって、イエスはどんなお方か、正確に知って下さるのが、神様が私たちに与えて下さった唯一の道なのであります。

具体的には教会において、そして聖書を通してイエス様というお方を知らされ、神様のことを知らされていくのです。
しかし、さらに具体的に言えば、このイエス様のこと、神様のことを知っていくということは、実際には、その愛を知らされ、気づかされていくということなのであります。
イエス様が、神様が自分をどんなに愛して下さっているかに気づかされ、その愛の中につかまえられていくことです。
神様を知る、イエス様を知るということは、単に知識として知るというのではなく、「こんな自分をも愛して下さっているのか」と、神様側からの一方的な愛と真実に心の奥底で打ちのめされるという事実があってこそ、本当に自分は神様のことを分からされ、さらにもっと神様のことを分からせていただこうとなるのです。

実際にこの私がそうでした。私は、頭で、知識で神様のこと考えても、少しも分かりませんでした。
また周りは、神と言えば八百万の神が普通、山も滝も大木も軍人も狐もヘビもみな神として平気で拝んでいる世界ばかりで、そういう世界に囚われている私たちからは神様というお方を、自分の持っている能力や知識からでは全く分からないことだらけでした。
しかし神様の側から、この私をあわれみ、私を教会へと導き、そして私を聖書の言葉へと導いて下さいました。
そうです、具体的には私は、聖書の言葉、特にその中でのイエス様のご自分の命をも与えてまで、私を罪から救い出すために着かれた十字架の死というみわざと、そしてまた特に、その十字架上で叫ばれたイエス様の一つの言葉によって、私はイエス様の愛に打ちのめされ、神様を信じようと決心したのです。
その言葉は、イエス様が十字架上で苦しみ、死んでいかれる最中に、ご自分を十字架につける者や罵倒(ばとう)する人のために「父よ。彼らを赦してあげて下さい。彼らは自分で何をしているか分からずにしているのです」と、赦しを父なる神様に祈られた言葉です。
私は、このイエス様の祈りに私は神様の愛を見て、打たれました。人間にはありえない愛、あるいは真実というものに私は打ちのめされて、私はイエス様を信じようと決心しました。
こうして神様が、ご自身を私に知らして下さったのです。

神様はご自分を、ご自分の愛と真実を、ご自分の御子イエスを十字架につけて、その命を与えてまでして私たちにハッキリお示しになり、そして御子イエス様はその死を、私たちを愛するために受け入れられ、しかもご自分を十字架につける者の赦しまで祈られた。

私は今もこの、ご自分の子を与えてまで愛する神様と、私を愛するために命までも与え、赦しを請い願って下さったイエス様の愛に打たれ続けながら、それによって私は神様に目が開かれ、またこの私こそがイエス様を十字架につけた張本人だと気づかされ続けているのです。
どうか、ご自分の命まで与えてまで愛しておられる神様の御子を知って下さいませ。

聖書のことば

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい

わたしがあなたがたを休ませてあげます。


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